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地元就職志向の皆さんは、今の豊かな播磨の経済・産業の歴史について疑問や気になった事はありませんか?
ここではそんな疑問に対して簡単に紹介いたします。面接などで地元播磨を選んだ理由の参考として役立ててみてはいかがでしょうか?

1.播磨の地場産業
播磨は古来より多くの河川と播州平野などの肥沃な土地に恵まれ、 また沿岸部には塩田が拡がっていました。このような環境のもとで農業を基盤として、各地域に特色のある地場産業が栄えていきました。 播磨地域の地場産業には、多くのものがありますが、その代表的なものとして 素麺、醤油、皮革、マッチなどが挙げられます。このような地場産業が集積し、播磨地域は商業都市へ、更には現代の工業都市へと発展を遂げてきました。

地場産業の紹介

地場産業にはいろいろなものがありますが、その中の一部を紹介いたします。

【そうめん】 ( たつの )
そうめんは、たつのが 小麦、塩、水に恵まれていたこと、更には冬場の気象条件が寒冷ではあるものの、 雨や雪が少ないということが、たつのの地にそうめんづくりが根付いた大きな要因となっています。 そうめんの起源はというと確実には分かっていませんが、斑鳩寺( いかるがでら ) に残る寺院日記『鵤庄引付』 ( いかるがのしょうひきつけ ) に贈答品として使ったという記述があることから今から、 約600年前の室町時代には、もう既にそうめんはつくられていたと思われます。
【醤油】 ( たつの )
およそ400年前の天正年間(1573〜1591)において、円尾家と横山家によってはじめられたとされています。両家とも酒造業を営んでおり、その醸造技術をいかして醤油の生産にも乗り出しました。また、たつのは醤油を造るうえで立地条件に非常に恵まれていたということがいえます。 醤油は大豆、小麦、塩、原料水を主原料としていますが、 大豆は佐用、宍粟、安志で、小麦はたつのが播州小麦の生産地帯となっており、容易に入手することが可能でした。また、 塩は赤穂塩という良質塩の生産地が近くにあり、最も重要な要素であった 原料水揖保川の水が、鉄分の少ない淡口(うすくち)醤油には欠かせない要素を持っていました。このような有利な条件が重なり、現在でもたつのは淡口醤油の特産地となっています。
【皮革】
近世の初期から播磨の皮革生産・加工が優れていたことは、天正9年( 1581年 ) 姫路城主であった 羽柴秀吉が、織田信長に200枚のなめし皮を献上したことから、うかがい知ることが出来ます。播磨で皮革業が発展したのは、西日本では多くの牛が飼われており、原料となる牛革の集荷が容易であったということと、 水、塩 ( 保存に使用 ) の入手が容易で、更に 雨が少なく 温暖な土地であったということが大きな要因となりました。
【工業用革手袋】
皮革業が発展したということと、工業用皮手袋が播磨の地場産業となっていることが密接な関係にあることは言うまでもありません。戦時中、この地に有力な武具の業者が立地し、裁断縫製技術を習得した人材が数多く存在したということが、製革業発展につながった大きな要因となっています。
【にかわ・ゼラチン】
日本を代表する皮革産地である播磨地域において、原材料となる皮革屑や牛骨等の入手が容易であったことで産地となりました。にかわは、主に 紙器 ( 紙箱、製本、事務用品 ) 、 紙管 ( 紙、布や繊維などの巻き芯や郵送用の円筒等 ) 、 研磨紙、などに用いられています。ゼラチンは、 食用 ( デザートや菓子、清酒などのアルコール類の清澄剤、ハム等の粘着剤 ) 、 医薬用 ( カプセル、ハップ剤、錠剤等 ) 、 写真用 ( 各種フィルム、印画紙、ロゴタイプ印刷等 ) 、 工業用 ( 感圧紙、製本用接着剤等 ) 、 化粧品用 ( ポリペプタイドとしてシャンプー、クリーム、ローション等 ) 等に利用されています。
【酒造業】
中世までは濁酒 ( どぶろく ) でしたが、 戦国末期〜近世初期にかけての産業の技術革新により、清酒が登場し、その 先進地は伊丹でした。播磨での酒造業は、そうめんや淡口醤油と同じように、 播州平野と豊かな河川、またその水に含まれる鉄分が低いという好条件に恵まれたことにより発展してきました。更には、神戸や大阪などの消費の大きな地域が隣接しているということも拍車をかけたと考えられます。
【マッチ】 ( 白浜 )
明治9年、元金沢藩士 清水誠 フランス より技術を移入したことが発端となっています。当時のマッチは有害なものでしたが清水誠の献身的な努力により安全なマッチが開発され、生産ノウハウは大阪、神戸の臨海部の業者へと伝えられました。やがて白浜村へと伝えられたマッチは姫路マッチとして頭角をあらわし、先進産地が輸出や販売の不振で撤退する中、姫路マッチは、 原料の 木材産地が近いこと、 労働力が豊富であること、そうした立地条件のよさに支えられ発展を続けました。
2.播磨の産業史
播磨地域は近世より、 姫路城下町があったことや、多様な 地場産業が栄えたことで、 商業都市として発展してきました。ここでは、現在の播磨地域の産業を形成する要因となった 明治中期ごろから始まった産業の近代化からを紹介します。
〜明治中期から始まった産業の近代化〜
明治中期、日本は産業の近代化に乗り出しました。当時は、 姫路藩の特産として 姫路木綿が有名でしたが、この近代化の波により、国外で大量生産された良質の機械綿製品が輸入され、姫路木綿は大打撃を受けてしまいます。兵庫県はこの状況を打破すべく、明治11年 姫路市に県営では第1号となる紡績所を建設し、また姫路市では民間の紡績会社の誘致を進めました。その甲斐もあり、姫路に数社の紡績工場が設立され、また大手紡績会社の進出もあり、 姫路は一大紡績工業地帯 へと発展を遂げました。これが現在の播磨臨海工業地帯を形成するまでに至った播磨の近代産業の歴史の始まりとなりました。
〜昭和初期・重工業への発展〜
その後、 昭和初期に需要が軍需産業に集中してくると、各紡績会社は姫路から撤退、または軍需産業に工場を売却するなどして、播磨にのこる紡績会社は数社となってしまいました。しかし、この新しい需要に答えるべく 播磨地域では臨海部に鉄鋼工場が建設され、昭和12年、 国策会社として日本製鉄株式会社 の建設が決定しました。すると鉄鋼から派生する機械・化学関係の工場も次々と設立され、 『紡績の街姫路』から『鐵鋼の街 姫路』へと目ざましい発展を遂げることとなりました。この工業化により播磨地域には重工業を中心とした臨海工業地帯が形成され、 日本を支え、また代表する工業都市へと発展しました。
〜太平洋戦争による被害と戦後の復興〜
しかしながら、このように工業都市となったことが誘因となり、太平洋戦争末期である1945年、激しい空襲にさらされました。6月22日と7月3日の2度の空襲で姫路駅を含め多くの建物が失われました。姫路では、約1万2000戸が全焼全壊、約5万7000人が被災したといわれています。さらに、多くの工場があった播州一帯と淡路島の沿岸部に対しては7月28日に襲来を受けています。戦後は、すぐに国鉄姫路駅前に闇市が出現し、商店、工場が次々に再建されていきました。このころから 産業は重化学工業が中心となりました。
〜播磨臨海工業地帯の誕生〜
昭和28年には、工業地帯の最大のネックとなっていたエネルギー確保の問題を解決すべく、飾磨区中島の埋め立て地に第一火力発電所が誕生し、工業用水に関しても引原ダム、夢前川、市川からの確保に成功。工場の増設、新設が相次いで行われ、 工場数はそれまでの300程度から約5倍の1500を数えました。このようにして 播磨臨海工業地帯 』が誕生しました。さらに、これらが骨組みとなり、終戦から12年たった 昭和32年、播磨臨海工業地帯が 全国五大工業地帯 ※1 に指定され全国有数の工業都市となりました。また、このように臨海部の整備が進むと、市民会館や文化センターなどの建設、下水道やごみ処理等衛生面の充実、姫路バイパスや国鉄高架などの交通基盤の整備の促進により、住民に住みよい町がつくられました。そして高度成長期(昭和40年代)を迎えた播磨地域は、広大な埋立てや工業団地の整備が一気に進み、さらに発展を遂げ、 昭和40 ( 1965 ) 年には 工業整備特別地域 ※2 、昭和60( 1985 ) 年には テクノポリス ※3 に指定され、 Spring8 ※4 の誘致にも成功しました。このように播磨地域は、紡績から鉄鋼へと移り変わった産業構造の変革の波や、太平洋戦争による大打撃を上手く乗りこえて日本の経済・産業を牽引してきました。
〜さらなる産業の近代化に苦闘する播磨の産業〜
現在の播磨地域では、全国有数の産業集積地域で経済的地位が確立されていたのは過去の産物となり、 ニーズは重厚長大型から 多品種・少量型へ移行しました。このようなニーズにこたえるべく、播磨の企業には 先端技術、都市型産業 が求められるようになりました。流通構造に関しても、構造変革の波が押し寄せてきており、今後の播磨地域の産業には、現在までの経験と技術を生かし、さらなる発展が求められています。
解説
  • ※1全国五大工業地帯・・・政府の鉱工業整備協議会が指定。
  • ※2工業整備特別地域・・・工業整備特別地域整備促進法(昭和39年法律第146号)において、「工業の立地条件がすぐれており、且つ、工業が比較的開発され、投資効果も高いと認められる地域」(第1条)であるとして定められた地域である。同法は2001年に廃止、工業整備特別地域の制度も廃止された。
  • ※3テクノポリス・・・高度技術集積都市、及びそれを実現するための計画。先端技術産業を中核とした産・学・住が一体となった街づくりを促進し、研究開発施設など各種産業基盤の事業整備等の推進を通じて地域経済の振興と向上を目指すことを目的としている。日本では技術立国を目指す通商産業省のメーンプロジェクトとして指導。1983年の高度技術工業集積地域開発促進法(テクノポリス法)によって制度化、全国26の地域が指定された。
  • ※4スプリング8・・・播磨科学公園都市にある、放射光を利用する大型の実験施設。名前の8は電子の最大加速エネルギーである8GeVに因んでつけられた。

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